先日の企画に際して編集者の山田文恵さんがまとめられた文章です。
とても面白いので、以下全文を掲載します。ぜひお読み下さい。
『ニッポン――桜というお化け』【1-6】
【1. 安吾と桜】
”そこは桜の森のちょうどまんなかのあたりでした。四方の涯は花にかくれて奥が見えませんでした。日頃のような恐れや不安は消えていました。花の涯から吹き寄せる冷めたい風もありません。ただひっそりと、そしてひそひそと、花が散りつづけているばかりでした。彼は始めて桜の森の満開の下に坐っていることができます。彼はもう帰るところがないのですから。”(坂口安吾『桜の森の満開の下』)
坂口安吾の『桜の森の満開の下』では、山賊の男は桜の森をおそれています。美しくも残酷な女への思いとも似ていて、男を不安にさせるものです。寓話的で、登場人物の内面は語られないのに、男の内面の奥深く、精神の淵に立って暗闇をのぞきこむような気持ちでこれを読んでいます。
エッセイ集『明日は天気になれ』に収められた「桜の花さかり」によると、作品の原風景は、上野の山の桜なのだそうです。それも、空襲の犠牲者を荼毘に付していたときの、花見客などだれもいない満開の桜の森。
”情緒などはどこにもなく、およそ人間の気と絶縁した冷たさがみなぎっていて、ふと気がつくと、にわかに逃げだしたくなるような静寂がはりつめているのであった。”(坂口安吾『明日は天気になれ』所収「桜の花さかり」)
東京への空襲は1944 年11 月に始まりました。安吾がエッセイに記しているのは、1945年3 月10 日の空襲。「ちょうど桜の満開のころが、東京がばたばたと焼け野原になって行く最中」だったのです。3 月10 日の空襲だけで、犠牲者は10 万人以上。遺体を見ても何も感じなくなったという無関心は、死者を見なれたせいではなく、自分もすぐにこうなるのだという「不逞な悟り」からきていたと安吾はいいます。焼け野原の東京のまちと、悟りを抱く安吾の上に以前と変わらず咲く桜。これほど異様な姿もありません。
【2. ソメイヨシノの成立ち】
今、私たちが目にする桜のほとんどはソメイヨシノです。ソメイヨシノは17世紀中頃に、江戸染井(今の豊島区あたり)の園芸業者が生み出した新しい品種。明治以降、その新しさや植え付け・生育のしやすさから、徐々に日本列島へ、そして植民地へと広がっていきます。それ以前は、地域ごとに風土や環境に適したさまざまな品種の桜が咲いていました。多くは一本桜で、桜の名所といえば由緒を持つ場所であり、桜にもその桜独自の物語があったのです。群生しているところでも、上野、小金井、荒川堤の三大名所をはじめ、さまざまな品種が植えられていて、見頃は1ヶ月を数えたといいます。現在のような、ソメイヨシノがあっという間に咲いて散っていく風景は、新しい桜の姿なのです。
【3. 靖国神社と記憶の場】
明治以降の桜を代表するものは、やはり靖国神社の桜。17 世紀以降、ソメイヨシノの植生がどのように進んでいったかは、記録はおぼろげで、はっきりとはわかっていません。幕末から明治初期にかけて広がっていったことはわかっていますが、明確な資料が残っていないのです。ソメイヨシノの記録が登場するのは、なんと靖国神社。明治3年頃に、神社本殿の建立にあわせて植樹されたものが、「東京」の桜のはじまりです。靖国神社は、明治維新の志士や戊辰戦争の戦死者の鎮魂・慰霊のため、東京招魂社として建立されました。戊辰戦争によって荒廃していた東京で、真っ先に整備された「記憶の場」(後述)です。近代日本のナショナリズムの震源ともいえる靖国は、時間的にも空間的にも近代日本の起源といえるのです。
靖国の桜以降、日清・日露戦争の勝利など富国強兵策、そして軍国主義の拡大により、ソメイヨシノは少ずつ広まっていきます。当初、各地の城や城址は、殖産興業などの用地として桑畑や刑務所、菜園となっていました。そこに桜が植えられ、公園として公開されていきます。戦勝や皇太子の誕生などの記念として公園ができ、ソメイヨシノが植樹され、花見が奨励される。花見をすることで、国民は戦勝などを記憶するのです。フランスを代表する歴史学者のピエール・ノラによれば、近代の国民国家は国民・民族・家族の記憶をつくり、共有することで成立するそうです(『記憶の場』より)。戊辰戦争後、最初に整備されたのが東京招魂社というのは、なんとも興味深い事実。近代国家の「記憶の場」をつくることで、国民の統合と明治政府への同一性が高められたのです。日本という近代国家は、桜により、戦勝や皇国のイベントの記憶を共有することで確立されたということもできます。このとき、それ自体には意味のない桜に意味付けがなされ、桜は記憶の装置となるのです。
【4. 咲く花から散る花へ、同じ春の共有】
それでも、明治期の桜は「咲く花」に象徴された、どこか開放的で明るいものでした。大陸への膨張策が進み、軍部が力を増すにしたがって、桜は次第に「散る花」のイメージに変わっていきます。軍歌「同期の桜」に見られるように、潔さよく「散る」ことが美徳とされていく。特攻隊や玉砕など、報国・忠君の兵士の犠牲の象徴となり、国のための犠牲の根拠となる意味付けが桜に求められたのです。
そして、大日本帝国の政治的ナショナリズムを代表する花として、植民地にも桜が植えられていきます。一斉に咲いて散るソメイヨシノの特性は、各地に「同じ春」をもたらします。「同じ春」を共有することで、国民として統合される。ここでも、桜は記憶の装置となるのです。
【5. 桜の物語の喪失】
敗戦後、ソメイヨシノはさらに爆発的に全国に広がっていきます。焼け跡となった全国の土地が再編成されるなかで、植林と生育が容易なソメイヨシノは学校や公園、街路など、いたるところに植えられていくのです。その結果、無名の桜の名所、それもソメイヨシノばかりが咲く場所が全国に増殖します。
かつて、桜の名所と桜はそれぞれの由緒と物語を持っていました。しかし、ここで桜の花は物語を失うのです。物語を失った桜は、個人の経験に沿った意味付けをなされ、大きな物語を喪失した、個人の小さな物語や記憶の集合となります。本来ならば多様で強固なはずの個人の物語も、ソメイヨシノというひとつのイメージに集約され、同一性を持って戦後の日本で共有されていく。戦前・戦時中の桜の記憶は取捨選択され、不都合な記憶は抜け落ちていき、新しい日本が記憶される。なんとも空虚な装置ですが、戦争の記憶を忘却したうえに成り立つ戦後の日本の繁栄と、矮小化する社会を考えると、空虚な都市にふさわしい花かもしれません。
桜の花の下で、近代の日本の姿を忘れながらも、ふと浮かび上がるその姿におののく。安吾が書いた「ひそひそと」桜の散る風景そのままに、涯の見えない四方に囲まれ、おそるおそる桜の森の満開の下に立っているのです。
【6. 最後に】
さて、上野の山は、戊辰戦争の上野戦争の舞台でもあります。戦闘により荒廃し、明治政府によって日本最初の公園の一つとして整備され、上野公園となりました。いわば、近代の「記憶の場」の起源の一つです。その場所で、近代日本終焉の一つの局面である、空襲の犠牲者を荼毘に付すというのは、歴史の皮肉、もしくは帝国主義の当然の帰結かもしれません。江戸以来の桜の名所として、多様な品種の桜が咲いていた上野。安吾が見た桜がソメイヨシノだったかはわかっていません。
【追記】
小説以外で、私の印象的な桜の場面を紹介します。
吉田喜重監督の『エロス+プラス虐殺』のワンシーン。大杉栄(細川俊之)と伊藤野枝(岡田茉莉子)が井の頭公園を散歩するシーンです。満開の桜のもと、会話しながら歩く2人には、もちろん特高の尾行がついています。満開の桜と暖かそうな春の日差しが画面には満ちていますが、どこか不穏な気配が漂っているのです。恋愛スキャンダルの末結婚した2人の過去と、関東大震災後のどさくさの中で、憲兵という国家権力に「虐殺」されることになる2 人の未来を考えずにはいられません。吉田喜重監督に意図があったかはわかりませんが、このシーンの花は桜でなければ。
テキスト:山田文恵
簡略ながらイベント報告です。
4月6日(日)開催のお花見読書会は花冷えの中、野川公園にて行われました。
ニヒルな若き小説家Fさんの当日の日記です。
http://sowhatkob.hatenablog.com/entry/2014/04/07/144340
以下は二次会でご紹介いただいた、
お薦めもしくは話題に上った本/作家のリストです。
・ガルシア=マルケス「族長の秋」
・三宅誰男「亜人」
・磯崎健一郎
・宮本常一「忘れられた日本人」
・W・G・ゼーバルト「アウステルリッツ」
・若松英輔「井筒俊彦―叡知の哲学」
・井筒 俊彦「意識と本質」
・須賀敦子「トリエステの坂道」
・ロベルト ボラーニョ「2666」
・林 京子「長い時間をかけた人間の経験」
・石牟礼道子
・直木三十五
すばらしい考察を展開して下さったF.Yさん、公園の下見や場所取りにご尽力いただいたK.Yさん、また来るやいなや風邪で帰られたTさんをはじめいらしてくださったみなさま、本当にありがとうございました。
2014.4.6 (sun)「『桜の森の満開の下』お花見読書会」
二次会含め、のべ14名(+子ども3名)が参加。
【関連】
→ ニッポン・桜というお化け──「桜の森の満開の下」お花見読書会