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	<title>スモールキャンプ &#187; 論考</title>
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	<description>本と声、心通わせることについての小さなキャンプ</description>
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	<item>
		<title>「共通概念」振り返り｜レポート</title>
		<link>http://www.smallcamp.org/archives/1944</link>
		<comments>http://www.smallcamp.org/archives/1944#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Dec 2015 10:51:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[スモール キャンプ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[- 哲学勉強会]]></category>
		<category><![CDATA[イベントレポート]]></category>
		<category><![CDATA[企画ノート]]></category>
		<category><![CDATA[論考]]></category>

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		<description><![CDATA[勉強会を育てる勉強会としてのはじめての会を、ドゥルーズ『スピノザー実践 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-226" alt="tensen4" src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2013/12/tensen4.gif" width="538" height="41" /><br />
勉強会を育てる勉強会としてのはじめての会を、ドゥルーズ『スピノザー実践の哲学』（第4章 ※共通概念）を課題テクストとして開催しました。</p>
<p>ここでは会の振り返り（成果と言いたいですが、控え目に。。）として課題テクストの読解から得られた「共通概念」概念の実践的価値といったら大げさになるかもしれませんが、そのあたりのことを念頭におきつつ課題文章の解説をしてみます。そのあとで「共通概念」の課題というか、それでうまくいくのかということを考えた内容があるので少しだけふれてみようと思います。</p>
<p><img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/space_long1.gif" alt="space_long1" width="538" height="11" class="alignleft size-full wp-image-1114" /><br />
<img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/tensen_gre_ver2more_g_2.gif" alt="tensen_gre_ver2more_g_2" width="538" height="35" class="alignleft size-full wp-image-1122" /></p>
<p><strong>【共通概念の実践的価値】</strong></p>
<p>この会の準備に取り掛かるときに、（2、3回パラパラ通して読んだ後に）下調べとしてドゥルーズースピノザ（以下DーS）の共通概念についてのWEB上の記事を読んでみましたが、何か違うんだよな、というか、どうもピントがずれているものが多いと感じました（思い上がり！）。会が終わった今では、ピントがずれているというよりは片手落ちとか関心のあり様の違いなのかなという風に思っています。</p>
<p>それがどういう部分なのか、自分なりに整理できたことをテクストの内容を振り返りつつ紹介したいと思います。</p>
<p>共通概念という呼び名は、それがすべての人々の精神に共通だからではなく、まずはそれが身体または物体相互に共通ななにかを表すところからきている。</p>
<p>1パラ目の文章はこんな感じでスピノザの共通概念の定理（！）から内容を引いてくるところから始まります。共通概念っていうのは身体のことなんですよ、物体ー身体が合わさるときの表現なんですよ、という感じですかね。（この共通概念の守備範囲が”物体”とされているのはスピノザの哲学にとって結構重要なポイントな気がします。）</p>
<p>2パラ目では1パラ目の定理からすこしだけ踏み込んで、物体や身体っていうのは構成関係で特徴付けられますよ、ということを言っていて（※1）、さらに1パラ目の定理にでてきた「共通」という言葉が2種類（構成的合一、構成上の統一）に使い分けられます。このあたり（物体／身体→構成関係、共通→構成的合一／構成上の統一）の言葉のブレイクダウンで（DーSの）ものに対しての相対的な見方みたいなものをパッとイメージさせるのはうまいことやるなあという感じです。あと2パラ目では「共通概念が精神にとって共通なのは、その身体がそうした構成的合一や構成上の統一にかかわっているかぎりのこと」というちょっとわかりづらいセンテンスが出てきます。ここが個人的には共通概念のわかりづらさの要所でした。1パラ目では共通概念は一般的だと述べられていて、2パラ目では（ある種生きていて）関わっている限りのものだと語られるわけです。この両立。これは共通概念の面白いところであり、運命的なキズをおっているところな気がするわけです。</p>
<p>続いて3パラ目、ここでは2パラ目で書かれている構成関係の構成的合一の条件、その各体（私たち）にとって「相違や対立」がはじまるポイントを理解することについてかなり実践的な方法が語られます。（一般性の大きい共通概念から小さい共通概念へ粒度を細かくしていけば私たちと何かが噛み合わなくなるポイントがわかる）（※2）このパラグラフは1，2パラ目のどちらかといえば哲学的なフォーマットのトーンの話から実践（私たちが生きていくという）の次元に話がうつっていくちょうど間のパラグラフなのでここで頭を切り替えないと、次のパラグラフで、あれっ、何の話をしているんだっけ、ということになるかもしれません。</p>
<p>そこから、4、5パラ目あたりがこの「共通概念」の項の盛り上がりどころになります。共通概念は私たちが生きていく中でどう役立つのか、どうやって共通概念はつくられるのかということが語られます。まず3パラ目で書かれた「相違と対立」のポイントをみつける方法が共通概念の「適用の秩序」という言葉で言い換えられて、その場合、共通概念は所与のもの（もう出来上がっているからこそ使われるもの）なわけだから、そもそもその共通概念が「形成される秩序」はどんなものなんだろう、という流れです。まず4パラ目では、その形成の誘因（契機？）のことが書かれています。</p>
<p>この私たちは、みずからの身体と適合する体と出会うとき、そこにある何が自身と共通であるかはまだ十全に認識するにいたらなくとも、すでに受動的情動としての喜びの感情を味わっている。</p>
<p>嬉しくて元気なときはその喜びを引き起こしたものと自分との間に共通なもの（構成的合一、構成上の統一）があるという概念を形成（理解）しうる力を持つ、悲しいとそういうことが出来ない、ということです。これはかなり素朴というかシンプルな世界観だと思うんですが、私たちが生きていく中で（生まれながら、ではなく）ものを理解していくための契機で他に使えそうなものが他に何かあるだろうか、というのは気になるところです。（※3）こうして既定された共通概念の「適用の秩序」と「形成の秩序」が＜理性＞の定義と重ね合わされます。（※4）私たちは生きていく中で共通概念を獲得し、その中で段々と＜理性＞というものも理解されてくる、更にその＜理性＞自体から能動的な感情も生まれてくる、という感じです。（ここで理性という単語が＜＞で括られているのも何気に大事なんでしょう。the 理性）5パラ目では共通概念が形成の秩序の中で一般性を拡大していく、という話になっていきます。たしかに、共通概念は一般性を大きくしていかないと実際に生きていく中で使える局面が限定されてされてしまうので、そういう話にしていくのはわりと納得できるところです。同時にあまり一般性が大きい共通概念だと実際にはあまり使えないものになってしまいます。</p>
<p>とりあえずのまとめに入りますが、私が冒頭にふれた片手落ちや関心のありかの違いというのは、上記で説明を試みてみた実践的な価値の部分です。「共通概念」の項では、この後6パラ目以降に共通概念の理論的重要性というかスピノザの幾何学的方法における位置づけみたいなものが書かれることになるのですが、アカデミックな場ではこういう話題の方が歓迎されるのかな、とかいうことを感じた次第です。まあ自分が調べた狭い範囲の中で感じたことなので実際はそんなことない、という方がいたらコメントもらえたりすればとてもありがたいです。<br />
<img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/space_long1.gif" alt="space_long1" width="538" height="11" class="alignleft size-full wp-image-1114" /></p>
<ol><strong>※1</strong> 会の中ではここで扱われている「構成関係」の表現方法はいくつかあるだろう、みたいな話もでてきました。個人的にはツリーやネットワークみたいなものしかイメージできていなかったのですが、リズムとかもそうか？ということをすやまさんが伝えてくれました。たしかに、ものが動く仕掛けを考えるためには、登場人物（人物には限らないけど）とそれが動く順番がどっちも揃っていないとダメで、静的な表現と動的な表現を合わせて考えないと不十分なところがあるでしょう。そういう意味では今回のテクストでドゥルーズが取り上げている「構成関係」は、「運動と制止」という言葉を用いて動的な表現を連想させてもいますが、読む方にしてみればいくつかの機能をあたえられたブラックボックスになっています。このあたりの詳しい内容はたぶんどこか他の文章で扱っていそうではあります、あれば読んでみたいです。</ol>
<ol><strong>※2</strong> 「共通概念」の項では触れられていない話ではありますが「不適合」と「適合」についてはもう少し考えることがありそうです。それは、ある構成関係にとって、特定の結合ー合一がクリティカルなものかどうか、ということです。同じ本の第4章「個体」の項にも「ある場合には、その構成関係自体を破綻させてしまうような不適合」のことが書かれています。このあたりは（私の知っている範囲では）ソフトウェア工学とかの結合度の話に似ている気がします。結合度が高ければ高いほどある結合関係の破綻はシステム全体の動作に影響を及ぼす、という話題です。</ol>
<ol><strong>※3</strong> そういう契機として単に「喜び」というものを設定すれば、いま生きている私たちがうまくいくようになるのか、というのはまた別の問題ということになるんだと思います。何しろ既存の枠組みが存在する世界で生きていくわけですから、その喜びは「いまの社会的に」適切なのか、という（スピノザの語るような倫理ではなく）道徳的な評価が別軸として必要になってくるのかもしれません。ただそういう別軸を意識すればするほど共通概念から離れていってしまう気もするし、ちょっとこの辺りはむずかしいと感じるところです。</ol>
<ol><strong>※4</strong> ここで面白いなと思うのは、共通概念の適用の秩序が受動的情動という言葉に、形成の秩序が能動的な感情という言葉に対応づけされるようなニュアンスで書かれることです。出会いを秩序づけようとする適用の秩序の方が普段私たちがふれている能動的という言葉づかいにどちらかと言えば近い気がするのですが、ドゥルーズースピノザにおいて能動的というのは、意識的にものを選びとっていく、ということではないということになります。ではどういうことなのかというのは、同じ本の中では「開展」や「自由」の項にも書いてあって（というかその箇所に限らずこの本の中にはよく出てくる話題ですね。）、あらためて読み返してみようと思います。</ol>
<p><img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/space_long1.gif" alt="space_long1" width="538" height="11" class="alignleft size-full wp-image-1114" /><br />
<img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/tensen_gre_ver2more_g_2.gif" alt="tensen_gre_ver2more_g_2" width="538" height="35" class="alignleft size-full wp-image-1122" /></p>
<p><strong>【共通概念は十全な観念？】</strong></p>
<p>ここまで書いてきたように「共通概念」の項ではD-Sが実践において倫理を実現するためのかなり具体的な枠組みが語られるわけですが、それでもやっぱり気になるのは、実際に私たちが共通概念を使おうと思ったときに（本文の中では「形成の秩序」「適用の秩序」として書いてあった箇所の実際の運用で）出てくる課題の部分だったりします。</p>
<p>その課題は共通概念は十全な観念である、とされる箇所に関わります。共通概念は十全な観念なんだから、何かが自分と適合するものかどうかの切り分けを可能にするとされます。ですが、その十全な観念の十全さを体感させてくれるのは、あくまでその共通概念の運用の中で私たちが喜びの体感を得たということで裏づけられることになるでしょうから、「実際に使ってみて」うまくいくかどうかを確認した後でないとそれが使えるか使えないかはわからない、ということになります。それに、実際に使ってみて一度うまくいったからといって、今度は失敗してしまうこともあるでしょう。そうやって試験を受けながら段々と精度があがっていく私たちの中での構成関係の認識に十全という言い方をするのは違和感があります。「十全」は私たちが何かをなした後でやってくる結果としてしか得られないんじゃないかと思ったりします。（このあたりのことはラトゥールの本の中で書かれている実験室における「自然」の身分についての話が思い出される中で考えたことでもあります。）</p>
<p>この話題を掘り下げていくためには、なんとなくドゥルーズお得意（？）の潜在性の概念のことをもうすこし整理していかないとわからないのかもな、という気がします（見当違いかもしれませんが、、）。</p>
<p>とりあえず個人的に今は「構成関係」のことが気になっています。複数の要素が集合自体を表現する、ということはどういうことなのか、その表現の方法自体はどんなものがあるのか。</p>
<p>まずはどこから手をつけていくかを考えないと。。</p>
<p><img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/space_long1.gif" alt="space_long1" width="538" height="11" class="alignleft size-full wp-image-1114" /></p>
<p>テキスト：佐々木貴史<br />
<img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/space_long1.gif" alt="space_long1" width="538" height="11" class="alignleft size-full wp-image-1114" /><br />
&nbsp;</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-175" alt="tensen2" src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2013/12/tensen2.gif" width="538" height="1" />【関連】<br />
→<a href="http://www.smallcamp.org/archives/1845"> 【哲学勉強会】ドゥルーズ ── スピノザの共通概念と勉強会を育てるためのフレームワーク</a><br />
→<a href="http://www.smallcamp.org/archives/1894">【哲学勉強会】ドゥルーズ ──「内在ーひとつの生」</a><br />
→ <a href="http://www.smallcamp.org/archives/9" target="_blank">哲学ノ勉強会ハジメマス ── ドゥルーズ「本能と制度」序文(2013.6.13)</a></p>
]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>「桜というお化け」考。&#124; 企画ノート</title>
		<link>http://www.smallcamp.org/archives/976</link>
		<comments>http://www.smallcamp.org/archives/976#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 09 Apr 2014 22:37:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[スモール キャンプ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[企画ノート]]></category>
		<category><![CDATA[論考]]></category>

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		<description><![CDATA[先日の企画に際して編集者の山田文恵さんがまとめられた文章です。 とても [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-226" alt="tensen4" src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2013/12/tensen4.gif" width="538" height="41" /><br />
<a href="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/ｵﾅｼﾞｵﾄﾞﾘｦｵﾄﾞﾙｺﾄﾆﾂｲﾃ2.jpg"><img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/ｵﾅｼﾞｵﾄﾞﾘｦｵﾄﾞﾙｺﾄﾆﾂｲﾃ2.jpg" alt="ｵﾅｼﾞｵﾄﾞﾘｦｵﾄﾞﾙｺﾄﾆﾂｲﾃ2" width="1296" height="1156" class="alignleft size-full wp-image-1054" /></a><br />
先日の企画に際して編集者の山田文恵さんがまとめられた文章です。<br />
とても面白いので、以下全文を掲載します。ぜひお読み下さい。</p>
<p><img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/space_long1.gif" alt="space_long1" width="538" height="11" class="alignleft size-full wp-image-1114" /><br />
<img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/tensen_gre_ver2more_g_2.gif" alt="tensen_gre_ver2more_g_2" width="538" height="35" class="alignleft size-full wp-image-1122" /></p>
<p><strong>『ニッポン――桜というお化け』</strong>【１-６】</p>
<p>【１. 安吾と桜】</p>
<blockquote><p>
”そこは桜の森のちょうどまんなかのあたりでした。四方の涯は花にかくれて奥が見えませんでした。日頃のような恐れや不安は消えていました。花の涯から吹き寄せる冷めたい風もありません。ただひっそりと、そしてひそひそと、花が散りつづけているばかりでした。彼は始めて桜の森の満開の下に坐っていることができます。彼はもう帰るところがないのですから。”（坂口安吾『桜の森の満開の下』）</p></blockquote>
<p>坂口安吾の『桜の森の満開の下』では、山賊の男は桜の森をおそれています。美しくも残酷な女への思いとも似ていて、男を不安にさせるものです。寓話的で、登場人物の内面は語られないのに、男の内面の奥深く、精神の淵に立って暗闇をのぞきこむような気持ちでこれを読んでいます。</p>
<p>エッセイ集『明日は天気になれ』に収められた「桜の花さかり」によると、作品の原風景は、上野の山の桜なのだそうです。それも、空襲の犠牲者を荼毘に付していたときの、花見客などだれもいない満開の桜の森。</p>
<blockquote><p>”情緒などはどこにもなく、およそ人間の気と絶縁した冷たさがみなぎっていて、ふと気がつくと、にわかに逃げだしたくなるような静寂がはりつめているのであった。”（坂口安吾『明日は天気になれ』所収「桜の花さかり」）</p></blockquote>
<p>東京への空襲は1944 年11 月に始まりました。安吾がエッセイに記しているのは、1945年3 月10 日の空襲。「ちょうど桜の満開のころが、東京がばたばたと焼け野原になって行く最中」だったのです。3 月10 日の空襲だけで、犠牲者は10 万人以上。遺体を見ても何も感じなくなったという無関心は、死者を見なれたせいではなく、自分もすぐにこうなるのだという「不逞な悟り」からきていたと安吾はいいます。焼け野原の東京のまちと、悟りを抱く安吾の上に以前と変わらず咲く桜。これほど異様な姿もありません。</p>
<p><img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/tensen_gre_ver3more_g_2short10.gif" alt="tensen_gre_ver3more_g_2short10" width="538" height="10" class="alignleft size-full wp-image-1131" /></p>
<p>【２. ソメイヨシノの成立ち】</p>
<p>今、私たちが目にする桜のほとんどはソメイヨシノです。ソメイヨシノは17世紀中頃に、江戸染井（今の豊島区あたり）の園芸業者が生み出した新しい品種。明治以降、その新しさや植え付け・生育のしやすさから、徐々に日本列島へ、そして植民地へと広がっていきます。それ以前は、地域ごとに風土や環境に適したさまざまな品種の桜が咲いていました。多くは一本桜で、桜の名所といえば由緒を持つ場所であり、桜にもその桜独自の物語があったのです。群生しているところでも、上野、小金井、荒川堤の三大名所をはじめ、さまざまな品種が植えられていて、見頃は１ヶ月を数えたといいます。現在のような、ソメイヨシノがあっという間に咲いて散っていく風景は、新しい桜の姿なのです。</p>
<p><img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/tensen_gre_ver3more_g_2short10.gif" alt="tensen_gre_ver3more_g_2short10" width="538" height="10" class="alignleft size-full wp-image-1131" /></p>
<p>【３. 靖国神社と記憶の場】</p>
<p>明治以降の桜を代表するものは、やはり靖国神社の桜。17 世紀以降、ソメイヨシノの植生がどのように進んでいったかは、記録はおぼろげで、はっきりとはわかっていません。幕末から明治初期にかけて広がっていったことはわかっていますが、明確な資料が残っていないのです。ソメイヨシノの記録が登場するのは、なんと靖国神社。明治3年頃に、神社本殿の建立にあわせて植樹されたものが、「東京」の桜のはじまりです。靖国神社は、明治維新の志士や戊辰戦争の戦死者の鎮魂・慰霊のため、東京招魂社として建立されました。戊辰戦争によって荒廃していた東京で、真っ先に整備された「記憶の場」（後述）です。近代日本のナショナリズムの震源ともいえる靖国は、時間的にも空間的にも近代日本の起源といえるのです。</p>
<p>靖国の桜以降、日清・日露戦争の勝利など富国強兵策、そして軍国主義の拡大により、ソメイヨシノは少ずつ広まっていきます。当初、各地の城や城址は、殖産興業などの用地として桑畑や刑務所、菜園となっていました。そこに桜が植えられ、公園として公開されていきます。戦勝や皇太子の誕生などの記念として公園ができ、ソメイヨシノが植樹され、花見が奨励される。花見をすることで、国民は戦勝などを記憶するのです。フランスを代表する歴史学者のピエール・ノラによれば、近代の国民国家は国民・民族・家族の記憶をつくり、共有することで成立するそうです（『記憶の場』より）。戊辰戦争後、最初に整備されたのが東京招魂社というのは、なんとも興味深い事実。近代国家の「記憶の場」をつくることで、国民の統合と明治政府への同一性が高められたのです。日本という近代国家は、桜により、戦勝や皇国のイベントの記憶を共有することで確立されたということもできます。このとき、それ自体には意味のない桜に意味付けがなされ、桜は記憶の装置となるのです。</p>
<p><img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/tensen_gre_ver3more_g_2short10.gif" alt="tensen_gre_ver3more_g_2short10" width="538" height="10" class="alignleft size-full wp-image-1131" /></p>
<p>【４. 咲く花から散る花へ、同じ春の共有】</p>
<p>それでも、明治期の桜は「咲く花」に象徴された、どこか開放的で明るいものでした。大陸への膨張策が進み、軍部が力を増すにしたがって、桜は次第に「散る花」のイメージに変わっていきます。軍歌「同期の桜」に見られるように、潔さよく「散る」ことが美徳とされていく。特攻隊や玉砕など、報国・忠君の兵士の犠牲の象徴となり、国のための犠牲の根拠となる意味付けが桜に求められたのです。</p>
<p>そして、大日本帝国の政治的ナショナリズムを代表する花として、植民地にも桜が植えられていきます。一斉に咲いて散るソメイヨシノの特性は、各地に「同じ春」をもたらします。「同じ春」を共有することで、国民として統合される。ここでも、桜は記憶の装置となるのです。</p>
<p><img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/tensen_gre_ver3more_g_2short10.gif" alt="tensen_gre_ver3more_g_2short10" width="538" height="10" class="alignleft size-full wp-image-1131" /></p>
<p>【５. 桜の物語の喪失】</p>
<p>敗戦後、ソメイヨシノはさらに爆発的に全国に広がっていきます。焼け跡となった全国の土地が再編成されるなかで、植林と生育が容易なソメイヨシノは学校や公園、街路など、いたるところに植えられていくのです。その結果、無名の桜の名所、それもソメイヨシノばかりが咲く場所が全国に増殖します。</p>
<p>かつて、桜の名所と桜はそれぞれの由緒と物語を持っていました。しかし、ここで桜の花は物語を失うのです。物語を失った桜は、個人の経験に沿った意味付けをなされ、大きな物語を喪失した、個人の小さな物語や記憶の集合となります。本来ならば多様で強固なはずの個人の物語も、ソメイヨシノというひとつのイメージに集約され、同一性を持って戦後の日本で共有されていく。戦前・戦時中の桜の記憶は取捨選択され、不都合な記憶は抜け落ちていき、新しい日本が記憶される。なんとも空虚な装置ですが、戦争の記憶を忘却したうえに成り立つ戦後の日本の繁栄と、矮小化する社会を考えると、空虚な都市にふさわしい花かもしれません。</p>
<p>桜の花の下で、近代の日本の姿を忘れながらも、ふと浮かび上がるその姿におののく。安吾が書いた「ひそひそと」桜の散る風景そのままに、涯の見えない四方に囲まれ、おそるおそる桜の森の満開の下に立っているのです。</p>
<p><img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/tensen_gre_ver3more_g_2short10.gif" alt="tensen_gre_ver3more_g_2short10" width="538" height="10" class="alignleft size-full wp-image-1131" /></p>
<p>【６. 最後に】</p>
<p>さて、上野の山は、戊辰戦争の上野戦争の舞台でもあります。戦闘により荒廃し、明治政府によって日本最初の公園の一つとして整備され、上野公園となりました。いわば、近代の「記憶の場」の起源の一つです。その場所で、近代日本終焉の一つの局面である、空襲の犠牲者を荼毘に付すというのは、歴史の皮肉、もしくは帝国主義の当然の帰結かもしれません。江戸以来の桜の名所として、多様な品種の桜が咲いていた上野。安吾が見た桜がソメイヨシノだったかはわかっていません。</p>
<p><img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/space_long1.gif" alt="space_long1" width="538" height="11" class="alignleft size-full wp-image-1114" /></p>
<p>【追記】<br />
小説以外で、私の印象的な桜の場面を紹介します。<br />
吉田喜重監督の『エロス＋プラス虐殺』のワンシーン。大杉栄（細川俊之）と伊藤野枝（岡田茉莉子）が井の頭公園を散歩するシーンです。満開の桜のもと、会話しながら歩く2人には、もちろん特高の尾行がついています。満開の桜と暖かそうな春の日差しが画面には満ちていますが、どこか不穏な気配が漂っているのです。恋愛スキャンダルの末結婚した2人の過去と、関東大震災後のどさくさの中で、憲兵という国家権力に「虐殺」されることになる2 人の未来を考えずにはいられません。吉田喜重監督に意図があったかはわかりませんが、このシーンの花は桜でなければ。</p>
<p><img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/space_long1.gif" alt="space_long1" width="538" height="11" class="alignleft size-full wp-image-1114" /></p>
<ol>
【参考文献】<br />
《桜》<br />
『<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4004309360" target="_blank">桜が創った「日本」 ソメイヨシノ起源への旅</a>』（岩波新書 佐藤俊樹）<br />
『<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4000017969" target="_blank">ねじ曲げられた桜 美意識と軍国主義</a>』（岩波書店 大貫恵美子）<br />
『<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4106004402" target="_blank">桜と日本人</a>』（新潮選書 小川和佑）<br />
《都市》<br />
『<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4006001339" target="_blank">明治の東京計画</a>』（岩波現代文庫 藤森照信）<br />
『<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480081593" target="_blank">東京都市の明治</a>』（ちくま学芸文庫 初田亨）<br />
『<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4385364419" target="_blank">荷風と明治の都市景観</a>』（三省堂 南明日香）<br />
『<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4062922045" target="_blank">東京下町山の手</a>』（ちくま学芸文庫エドワード・サイデンステッカー）<br />
『<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4061589431" target="_blank">明治日本の面影</a>』（講談社学術文庫 小泉八雲）<br />
《戊辰戦争》<br />
『<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4121004558" target="_blank">戊辰戦争 敗者の明治維新</a>』（中公新書 佐々木克）<br />
『<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4121013166" target="_blank">戊辰戦争から西南戦争へ 明治維新を考える</a>』（中公新書 小島慶三）<br />
《その他》<br />
『<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4000225197" target="_blank">記憶の場―フランス国民意識の文化=社会史1-3</a>』（岩波書店 ピエール・ノラ）</ol>
<p><img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/space_long1.gif" alt="space_long1" width="538" height="11" class="alignleft size-full wp-image-1114" /><br />
<img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/space_long1.gif" alt="space_long1" width="538" height="11" class="alignleft size-full wp-image-1114" /><br />
テキスト：山田文恵<br />
<img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/space_long1.gif" alt="space_long1" width="538" height="11" class="alignleft size-full wp-image-1114" /><br />
<img src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2014/04/tensen_gre_ver2more_g_2.gif" alt="tensen_gre_ver2more_g_2" width="538" height="35" class="alignleft size-full wp-image-1122" /><br />
簡略ながらイベント報告です。<br />
4月6日（日）開催のお花見読書会は花冷えの中、野川公園にて行われました。<br />
ニヒルな若き小説家Fさんの当日の日記です。<br />
<a href="http://sowhatkob.hatenablog.com/entry/2014/04/07/144340" target="_blank">http://sowhatkob.hatenablog.com/entry/2014/04/07/144340</a></p>
<p>以下は二次会でご紹介いただいた、<br />
お薦めもしくは話題に上った本/作家のリストです。</p>
<p>・ガルシア=マルケス「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/408760621X/ref=pd_lpo_sbs_dp_ss_1?pf_rd_p=466449256&#038;pf_rd_s=lpo-top-stripe&#038;pf_rd_t=201&#038;pf_rd_i=4087602354&#038;pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&#038;pf_rd_r=09ZERB07WNNBFHBHBYGH" target="_blank">族長の秋</a>」<br />
・三宅誰男「<a href="http://bccks.jp/bcck/118591/info" target="_blank">亜人</a>」<br />
・磯崎健一郎<br />
・宮本常一「<a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%BF%98%E3%82%8C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%AE%AE%E6%9C%AC-%E5%B8%B8%E4%B8%80/dp/400331641X" target="_blank">忘れられた日本人</a>」<br />
・W・G・ゼーバルト「<a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%94%B9%E8%A8%B3-%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84-%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-W-%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88/dp/456002734X" target="_blank">アウステルリッツ</a>」<br />
・若松英輔「<a href="http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%95%E7%AD%92%E4%BF%8A%E5%BD%A6%E2%80%95%E5%8F%A1%E7%9F%A5%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E8%8B%A5%E6%9D%BE-%E8%8B%B1%E8%BC%94/dp/4766418115" target="_blank">井筒俊彦―叡知の哲学</a>」<br />
・井筒 俊彦「<a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%A8%E6%9C%AC%E8%B3%AA%E2%80%95%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%9A%84%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E3%82%92%E7%B4%A2%E3%82%81%E3%81%A6-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BA%95%E7%AD%92-%E4%BF%8A%E5%BD%A6/dp/4003318528" target="_blank">意識と本質</a>」<br />
・須賀敦子「<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%86%E3%81%AE%E5%9D%82%E9%81%93-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%A0%88%E8%B3%80-%E6%95%A6%E5%AD%90/dp/4101392218" target="_blank">トリエステの坂道</a>」<br />
・ロベルト ボラーニョ「<a href="http://www.amazon.co.jp/2666-%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88-%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A7/dp/4560092613" target="_blank">2666</a>」<br />
・林 京子「<a href="http://www.amazon.co.jp/%E9%95%B7%E3%81%84%E6%99%82%E9%96%93%E3%82%92%E3%81%8B%E3%81%91%E3%81%9F%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E7%B5%8C%E9%A8%93-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9E%97-%E4%BA%AC%E5%AD%90/dp/4061984071" target="_blank">長い時間をかけた人間の経験</a>」<br />
・石牟礼道子<br />
・直木三十五</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-254" alt="tensen_as2" src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2013/12/tensen_as2.gif" width="538" height="41" /></p>
<p>すばらしい考察を展開して下さったF.Yさん、公園の下見や場所取りにご尽力いただいたK.Yさん、また来るやいなや風邪で帰られたTさんをはじめいらしてくださったみなさま、本当にありがとうございました。</p>
<p><i><br />
2014.4.6 (sun)「『桜の森の満開の下』お花見読書会」</i><br />
<i>二次会含め、のべ14名（＋子ども3名）が参加。<br />
</i></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-175" alt="tensen2" src="http://www.smallcamp.org/wp-content/uploads/2013/12/tensen2.gif" width="538" height="1" />【関連】<br />
<a href="http://www.smallcamp.org/archives/893">→ ニッポン・桜というお化け──「桜の森の満開の下」お花見読書会</a></ul>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.smallcamp.org/archives/976/feed</wfw:commentRss>
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